うちの兄さんと登山家さんは世界一仲の良い他人

ふせったーより転載、修正。


「友達? そんな言葉が似合うほど、俺たちの仲が熱く見えるのか?」
「悪友? ああ、中々悪くない。だが答えはノーだな。アイツは悲しくなるほどに真面目だからな、悪いこととは縁がないんだと」
「恋仲? 冗談も休み休み言ってくれないか」
「まあ、そんなに気にするなよ。当てられないのも無理はない。何せ俺とアイツは『他人』なんだからな」


正確には「(互いに)世界(にいる全ての意思を持つものの中で)一(番)仲の良い(と思っている)他人(同士)」。
つまり、2人は互いに「肉親を除く全ての中で最も仲が良いやつ」と思い合っている。「世界一」は客観ではなく彼らの主観なのがポイント。

他人という言葉には2つの意味が込められている。
1つは、2人の関係を既存のものに当てはまるのが難しいこと。
近い概念はブロマンスだけど、ブロマンスほど仲良し感はない。あくまで表面上の話だけども。深いところでは共感して共鳴して、親友やら恋仲やらぜーんぶすっ飛ばして、心が癒着してしまいそうなほどには仲良しだけど、表面上は付かず離れずの距離をずっと保っていて、割と冷めている。故に、絶対的に変わらない「他人」という関係で彼らを表す他にない。

もう1つは、彼ら自身が「他人」という関係に甘んじているということ。
どこで知ったんだか、彼らは互いの地雷を巧妙に避けている。正確には、回避行動を取らなくてはならない一歩手前で止まるのが絶妙に上手い。そりゃそうだ、他人なら心の奥底に踏み込まないのは当然だ。
絶対に地雷には踏み込まないという安心感があるから、彼らはひどい軽口を叩いてはそれを諌めるという一見危険な行動パターンを延々と繰り返し続けられるのだ。


要するに軽くて一見冷たい言葉のやりとりをしているけど実はめちゃくちゃイチャついているのがうちの2人です。別に付き合ってはないです。他人なので。