ツイッターでめっちゃ面白い議題があったのでこっちで語ろ
テーマは「愛する他者の身体と記憶について、犠牲にする場合の優先順位」です





わたあめ創作様のツイートより。
ふと思ったんだけど創作各位、
もしも大切な相手が絶対に目覚めないとして、それを目覚めさせる条件として相手の『四肢、五感のうち選択して合計5つ』か『記憶』を差し出すとしたらどれ選ぶ?自分のではだめです相手のです

相談できない中大切な人の体の一部をどの様に勝手に差し出すのか興味がある




これ最初読んだ時は記憶一択だと思ったんだけど、記憶の種類にも依るんだよね。
そもそも身体の一部を使えなくするという行動自体に忌避感があるし、5個は多すぎる。だから基本的には記憶を消すんですよ、その2択なら。これは自宅の子ならほぼ全員そう。例外があるとすれば、カップリングの片割れが人外種であるパターンくらいかな。
エピソード記憶(個人が経験した出来事についての記憶)だけなら遠慮なく記憶差し出すのよ。後でいくらでも構築し直せるので。
ただ、意味記憶(場所や時間に依存しない記憶。言葉の意味、常識など)や手続き記憶(身体が覚える記憶。ご飯の食べ方など)まで取られるならちょっと考える。そこまでして目覚めさせたいか、と。
自分自身に関する記憶はエピソード記憶と意味記憶で構成されているから、その2つを取られた時点でその人では無くなってしまう。手続き記憶まで奪われると、それはもはや育て直しになるのよ。身体だけ同じ人が、自分の愛したその人と同じようになるかは分からない。なら、その人を目覚めさせる意味も無くなると思っていて。だから、可能なら目覚めさせない。

……待って? エピソード記憶無くなった人って、人格はどうなるんだろう。
人格は生来的なもの説と環境依存説があって、私は半々だと思ってるんだけど、それはつまり環境依存部分(=エピソード記憶に基づいて形成された人格)が消えることになりません? それもある種「私の愛した人はここに居ない」だよな……。
記憶が「私と過ごしてきた日々にまつわるエピソード記憶」なら遠慮なく差し出すんだよな。でも身体面で差し出す量考えるといくらなんでも少ないと思うのよ……そんな都合の良いことないよ……。

ん!? 今私、「私と過ごしてきた日々にまつわる記憶は身体面で差し出す量と比較すると等価ではない」って言いましたね!? それって「自分との記憶は相手にとって取るに足らない小さなもの」と捉えているってことでは!?
いやもっと自信持とうよ!? 自意識過剰よ、大切だよ……!
逆に言えばこの問いかけした人は、身体面で5個くらい使えなくすれば等価だと思えるほど、記憶を重要視している人なのかもしれない。面白いなぁ……。

話逸れまくったわ 閑話休題

記憶が不要だというわけではないんですよ。重要だからこそ、良い塩梅で消したいんですよね。
身体を差し出す場合は、その人の記憶が丸々残ってる、つまり自我がほぼ保全されている状態なわけで。そんな状態で気がついたら身体が欠損してました、あるいは不随になりました、ってなったら、本当に辛いと思うのよ。それが前提の設問だとは思うけどね。
私自身、一時的に感音性難聴が出た時にめちゃくちゃストレス溜まったので……五感差し出すって言葉以上に重いのだと、この身が理解してしまっているので……その辛さを踏まえると、身体は選べない。そういう私の子たちなので、自然と身体を差し出す手は潰えてしまうんですよね。
だから記憶です。相手の記憶を差し出します。差し出し具合によっては、目覚めさせないことも考える。そんな感じ。
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