白く昇華した想い

初雪の降り積もった翌日の、曇天の日のことだった。登山家が、雪の上に身体を横たえていた。

目を閉じて深呼吸を一つ。昔からこの空気が好きだった。静謐で冷ややかで、穏やかなこの空気が。
天敵となりうる太陽も、今は分厚い雲に覆われていて、温もりを届けることは不可能に近い。あまりにも心地良い環境だ。思わず微睡んでしまいそうになる。生前とは違って、そのまま冬の国に連れ去られることはないから、尚のこと。

「おーい、生きてるかぁ?」

意識を手放しかけたその時、飄々とした空っ風のような声が降り注いだ。目を開けるまでもなく、こんな声で呼びかけてくるヤツは一人しかいない。それでもこの寒さの中で俺を見つけたそいつに敬意を表して、片目だけ開けて確認すると、ああやはり、予想通りの男がそこにいた。
風が吹いたら折れてしまいそうなほどの痩躯は、防寒着とマフラーに包まれて無事のようだった。あれは何だったか、チェスターコートと言っていたか。気障な男らしい出で立ちだ。

「……死んでいるよ」
「ああそうだった、お前は死んでたんだよな」

苦笑混じりの揶揄いも何度繰り返したことやら。しかしこの男は飽きもせず、顔を合わせる度に同じ文句を吐いてくる。それに毎度付き合ってしまう自分も自分だが。
目線を合わせようとしたのか、はたまた首を痛めたくなかったのか、そいつは俺の隣に腰を下ろした。

「で、こんな外出日和とは程遠い寒空の下で何をしているんだ?」
「こんな寒空だからこそ外に出られるんだよ。お前には分からないだろうが」

答える気は端から無い。言ったところで、ヤツには理解できない。させる気もない。
ほんの少しでも回答を期待していたのか、ヤツは少しだけ眉を下げて肩を竦めた。続く言葉に、遺憾の色はまったく滲んでいなかったが。

「じゃあ、そんなお前は知らないだろうが一応訊いておこう。火かき棒を見なかったか?」
「火かき棒?」
「ノバスチャンが探してるんだよ。なんでも、ティールームに小さな薪ストーブを置いたんだと。しかし肝心要の火かき棒が見つからない。このままでは火を入れられない、ピアンお嬢さんが寒さで震えてしまうー、だとさ。本人ピンピンしてたけどな」

目を閉じずとも、その情景がありありと浮かぶ。せかせかと屋敷中を探し回る老執事と、我関せずといった面持ちのピアニスト。彼らの関係については、噂話に疎い俺でも知っていた。どうやら噂とは一寸たりとも違っていないらしい。
しかし、ああ、ティールームももう行けないのか。冷凍室を除けば、屋敷内で唯一落ち着ける場所だったのに。少し残念だ。

「まあ、火かき棒なんてお前には縁もないだろうが」
「ああ全く以ってその通りだよ、本当なんで来たんだお前」
「ピアンお嬢さんの安寧のために、暑さ嫌いの男の手も借りたい、ってところか?」
「本っ当にお前は……性根の悪い奴だな……」

まったく、どうしてこんなにつらつらと言葉を並べられるんだか。感傷に浸る暇もない。
溜息を吐き、男を見遣る。目線はこちらから外れている——身体を捻って、背後を見つめていた。

「……あんなところに雪だるまがある」
「雪だるま?」

身体を起こし、ヤツの指さした方向を向く。そこにあったのは、二頭身の大きな雪だるま。
生前では三頭身ばかり見かけたからか、馴染みのあるはずのそれが随分と物珍しく見える。そういえば遠くの国では二頭身が標準だと聞いたことがあった気がする。だとして誰が作ったのかという疑問は残るが。

「二頭身でずんぐりむっくり、ハンプティダンプティも舌を巻く体型だ。そう思わないか?」
「ハンプティなら頭だけで充分だろう?」
「『冷たい登山者』の名は伊達じゃないな。ただでさえ脚がないのにこれ以上削ぐつもりか」

ハッとして口を閉ざしたときには、もう遅かった。
すっと細められた目と吊り上がった口の端。三日月が三つ、男の顔に浮かんでいた。してやられた、と思っても、返せるのは歪んだ眉根だけ。言葉ではどうにもこいつに勝てない。
俺との言葉遊びに満足したようで、男は悠然と立ち上がった——オバケに足はないが。

「んじゃ、そろそろ。こんなところにずっと居て風邪でも引いたら堪らないからな」
「引くか」

この男が虚弱体質であった覚えはない。わざとらしく息を吐く。それを見てまたけらけらと笑うものだから、さっさと戻れと背中を叩いた。

 

「アルプおじさん、今日はお外にいるんだね」

風と共に男が去っていくのと入れ替えに、今度は少女が黄金色のお下げ髪を揺らしてやってきた。珍しく覚醒している少女は、老婆に編んでもらったのだろうマフラーと手袋をしていて、随分と暖かそうだ。

「スー、今日は眠くないのか?」
「今、お屋敷の中は大騒ぎなんだよ。執事さんが『ひかきぼう』を探してるんだって。だから、眠たくても眠れないの」

眠っているか微睡んでいるかのどちらかである子が、外に出るだなんて珍しいと思っていたら、どうやら屋敷の喧騒に食傷気味らしい。それでわざわざ外まで出歩いてきたのか。
当然、アイツと同じように——といってもアイツよりずっと素直な言葉で——火かき棒の所在を問われ、黙って首を振ることで返事をした。さすがに少女の安眠を妨げたまま放置することはできないから、俺も探してみよう、と付け加えて。
ありがとうの言葉とともに、大きなあくびを一つ。一度外れた視線が、そのまま俺の背後に向けられる。雪だるまに気が付いたらしい。

「あの雪だるま、アルプおじさんが作ったの?」
「まさか。ウォンとテッドが作ったんじゃないのか?」
「あの二人、あんなお顔を作れるほど器用じゃないよ」

子どものことは子どもが一番知っている。目を凝らして見てみると、なるほど確かに5歳の子ども達が作るには些か丁寧な雪だるまだ。顔と身体のバランスもよいし——いや、少々胴が小さいような気もするが——顔は彼女の言うとおり、絶妙なバランスでパーツが配置されている。
ただ、気になるのはその表情だ。口が大きく横に広がって開いているのだ。端的に言えば威嚇行動。もしかしたら不満を示しているのかもしれない。少なくとも、典型的な雪だるまの笑顔とはかけ離れていた。

「あのお顔、アルプおじさんに似てるね」
「そうか?」
「うん。不機嫌なときのアルプおじさん」

微笑みながらそう言われては、どう反応を返したらよいか分からない。とりあえず、少し平素の表情に気を配るべきだと反省した。子どもに対してもあんな酷い顔を見せるのは、なんというか、大人として恥ずべき行為だろう。

「スー、早く戻ったほうがいい。子供が長時間寒さに曝されるのは良くない」
「じゃあ私、もう一度お屋敷の中探してくる」

また後でと約束して、少女は屋敷へ戻っていった。喧騒に立ち向かう小さな後姿を見守りながら、しばし思案する。
実際のところ、見当はついていた。昨日はなかった雪だるま。
初雪に気が昂ってしまって、こっそり外に出て年甲斐もなくはしゃいでいたから知っている。あの天気で雪だるまを作ろうとする馬鹿はいない。止んだのは日付が変わる前後だった、と記憶している。夜更けのうちに作ったのなら、あの老執事の目を掻い潜ることも不可能ではないはずだ。

「ごめんな」

お前に罪はないのにな。雪の頭部を一度、二度撫でて、真ん丸の頰を手袋越しに包み込む。触れた場所から、雪が舞った。固まったそれが元の新雪に戻っている。
外気に冷却されて、仄かに凍ってすらいた雪だるまが、次第に解れて、形を崩していく。大きな石の目や威嚇するような小石の口がぼろぼろと地面に落ちていき、あと少しで首なしとなるところで、

「……ああ、やっぱり」

あった。身体の芯に、すっと通った火かき棒が。

あの子はああ言っていたけど、やっぱり双子たちが作ったんじゃなかろうか。そう思った矢先、ふと脳裏を過ったのは、先ほどの会話だった。
ずんぐりむっくりな、脚のない雪だるま。不機嫌そうな顔。芯となった火かき棒。三日月のように弧を描いた酷薄な口元。消えかけの炎に似て、僅かに揺れた黄色い眼。……自作自演。
ああ、本当に、お前は性根の悪い奴だよ。

 

「おじさん、『ひかきぼう』あった?」
「ああ、見つかった。ほら、ここに」

戻ってきた少女に、火かき棒を持ち上げて示す。心の底から安堵した表情に、俺もつられて息を吐く。

「あれ、おじさん、雪だるまは?」

無邪気な少女の問いかけに、心臓が飛び出そうになった。予想していなかったといえば嘘になる。ただ、触れないでほしいと願っていた。俺はアイツほど取り繕うのが上手くないから。口角を気持ち大げさに上げて、それから口を開く。

「独りぼっちで寂しくなって、」

一度言葉を止めた。続く言葉が咄嗟に浮かばない。たっぷり3秒取って、必死に言葉を探して。

「……友達を探しに行ったんだろうさ」

こんな子供騙しのような誤魔化しが通じるかどうかは分からない。それでも彼女は、そっかぁ、と納得したように笑顔を浮かべていた。その笑顔を見ると、どうにも後ろめたくなって。
一先ず、この健気で幼気な少女に、火かき棒を見つける栄誉を譲り渡すことにした。

 

2021-09-09