世界一仲の良い他人(1/5)

「そういえば貴方、アルプと仲が良いんですのね」

娯楽室でポールとチェスで戦っている最中、ふと気になったことを口にしてみましたの。互いにキャスリングを終え、向こうが次の手を考えている隙を突いて。
雑談で思考時間を削ぐだなんて、と非難の声が飛びそうなところですけれど、このゲームにおいてお喋りは禁じられていませんもの——ええ、彼が禁じるはずがありませんわ。口先で他者を転がすことを何よりも得意とする彼が、どうしてわざわざ自らの首を絞める真似などするものでしょう。

「意外だったか?」
「ええ、ものすごく。水と油のように見えますわ。勿論貴方が油」
「それは……喜んでいいんだか悪いんだか、分からないな」
「そうですわね、精油あたりじゃないかしら。香りが良くて、実像が見えない。ようやく触れられたと思ったそれは極限まで希釈されたもの、原液に触れたら果たしてどうなることか——ほら、貴方にぴったりではなくて?」
「用途が限定的なのが今ひとつ。潤滑油とかどうだ? 我ながらぴったりじゃないか?」
「貴方、自分が潤滑油の器に収まると思っていますの?」
「ハ、これは手厳しい」

わたくしの言葉に、軽口を叩いて適当に流すその姿。見慣れてしまったものだからこそ、ますます謎が深まりますわ。
対戦相手である娯楽室の主人ポール。彼と親しげな、登山家の方。あまりお話したことはありませんけれど、纏う空気から分かります。彼は正しく氷の人、それも純度の高い方。不純物の混ざらぬ高潔さと、厳格さを持つ方。社交界では中々見かけないタイプですわね——いえ、全世界に広げたって、あれほど冷たく、それが美点となりうる人はそういませんわ。ええ、だからこそ。

「貴方、誰彼構わずその態度でしょう。なぜあの方に凍らされていないのか……不思議なこともありますのね」
「……『その態度』って?」

わたくしの指摘が理解できないと言わんばかりに小首を傾げていますけれど、そんなの永遠の三十路手前がしたって誰も騙されませんわよ。その証左として、盤上では容赦なくナイトやポーンの潰し合いが展開されていますもの。

「口調に差はあれど、他人ひとで楽しむことを決して怠らない態度。わたくしの記憶が間違っていなければ、彼はそういったことを最も嫌うひとだったはずですけれど」
「ああ、アイツも可哀想にな。幽霊になったのはとうに前の話なのに、まだ人扱いするヤツがいるとは思わなかった」
「……そういうところですわよ、貴方」

わたくしは言葉遊びに喜ぶ歳でも、言葉尻を捕らえられて怒る歳でもありませんのに。本当、いつまで経っても子供のようなひと——いえ、彼の流儀に倣うなら「子供幽霊」とでも称した方が良いのかしら?
かくいう彼は、表情を変えもせず、ただ肩を竦めてみせましたわ。期待外れとでも言いたげな……まさか、わたくしが腹を立てるとでも思っていましたの? だとしたら心外ですわ。

「確かにそういうのを嫌うヤツだよ、アイツは。話してりゃ十二分に分かる」
「ではお聞かせ願えますこと、名探偵さん? なぜ彼が貴方と行動を共にするのか、貴方の推理を」

そう聞いた途端小さくうなり始める彼。わたくしの問への返答を考えているようにも、次の手を考えているようにも見えますわ。
わたくしは回答を急かすほど野暮ではありませんけれど、無回答を許容するほど優しくもありませんのよ。あくまで手段が優雅かつスマートであるだけ。彼がそういうものを好むのは、経験則で分かっていますから。
わたくしがルークを相手の陣地へ送り、いよいよ勝負も大詰めというところで、考え込んでいた風の彼の口が開きましたの。

「……これは初歩的なことなんだがな、麗しき人。まずは自分の手元を見るべきだ」
「手元?」
「玉座ががら空きだ。チェック」
「なっ——」

思わず息を呑みましたわ。白のクイーンが自陣に入り込んで、わたくしのキングの首を狙っているんですもの。
目の前の男はチェシャー猫もかくやの笑みを浮かべて、わたくしの顔を覗いてきます。趣味の悪い男ですわね!

「さて、この状況、どう覆す?」
「ちょっと、先程の話はどこへ行きましたの!?」
「ここから逆転勝ちしたら、俺のとっておきの名推理を披露してやろうじゃないか」

正直、尻込みしましたわ。幸運の女神に寵愛されている彼ですもの。そう宣言されてしまったなら、彼の勝利が確約されたようなものですわ。
……けれど。

「言いましたわね?」
「勝負師に二言はないからな」

けれど、わたくしだって社交界で辛酸を舐めた身の上。幸運の一つや二つ、自分で掴み取らなければなりません。何よりゲーマーとして負けるわけにはいきませんわ。それがアナログゲームであろうとも。
わたくしは、キングに指をかけて——。

 

「水と油、か。……お嬢さんにしちゃ、悪い指摘じゃなかったけどな。まったくもって惜しかった」

独りごちながら、白の駒たちに追い詰められた黒のキングを倒す。
結局のところ、お嬢さんに名推理を披露する機会は失われてしまった。当然だな、俺は幸運の女神の寵児なんだ。奇跡の一つや二つ、自分で起こせなきゃならない。

 


チェス描写はTheodore Tylor vs William Winter (“Bill and Ted’s Excellent Combination”)を参考にしました

 

2021-09-09